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■小石川後楽園散策

せっかく入場料を払ったので園内を散策しました。

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黄門様のスタイルで記念撮影できるようになっていましたが、やっている方は見れませんでした。杖だけ持って記念撮影している方は何人かいました。ちょっと恥ずかしいですよね。光圀も水戸黄門のイメージで人格者な印象ですが、若い頃はかなりグレていたそうで、派手な格好をして悪友たちと練り歩き、遊郭通いや辻斬りもやっていたそうです。かなりワルでエロい人でした(笑

背景としては6歳の時に兄の頼重を差し置いて家督を相続して「正道に背く行為、兄への礼儀を欠く行為」と考え、悩んでいた為といわれています。そんな光圀は18歳の頃、中国の歴史家・司馬遷の「伯夷伝(はくいでん)」という史記を呼んで心を改めました。家督相続を譲り合う兄弟愛の話でこれを機に学問に精を出すこととなりました。


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この話に感銘を受けて建てたのが「得仁堂(とくじんどう)」です。この兄弟を「仁を行い得た人たち」として木像納め参詣したと言われています。かなりのワルでエロだった光圀が真人間に生まれ変わった事を忘れないように建てたのかもしれません。しかし綱吉の時代に「生類憐みの令」を無視しまくって肉を食べまくり、わざと犬の皮20枚を献上したりしたそうです。戒める意味が強かったようですが、、

この話がきっかけだったのかも知れませんが家督相続時には光圀の兄頼重の子供・綱條を養子にし、3代藩主に選びます。兄を差し置いて家督を相続した罪悪感から水戸藩を兄の血統に戻したかったのかもしれません。これに対して兄頼重は光圀の子供・頼常を養子に迎えます。今でいう子供のトレードでしょうか?


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ガイドには書かれていませんが「陰石」と「陽石」です。形から何を意味するかお分かりかと思います。
当時の武家屋敷にはよく一対目立たない場所にひっそり置かれていたそうです。今見るとオバちゃんたち「まぁイヤラシイ」とか言ってましたが、江戸時代においてはお世継ぎを作ることはすごく重要な事で徳川宗家の大奥や御三家・御三卿なども血筋が耐えないように作られたシステムです。大名家も世継ぎが出来ないとお家断絶の危機があるために
、子孫繁栄を願って設置しています。


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円月橋(えんげつきょう)です。水面に移ると橋が満月のように丸く見えることから名づけられました。ずいぶん写真とっている人がいるなと思いきや、、


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カワセミですね。都内で見かけるのはかなり珍しいです。意外な珍客にびっくりしました。


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後楽園の灯篭?オブジェにしては異質な感じがするこの鋳鉄製の円盤はかつてここに工場があった名残です。


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「陸軍造兵廠東京工廠跡記念碑」です。戦時中ここに東京砲兵工廠という兵器工場がありました。石のアウトラインはは敷地13萬坪の形を表しています。


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こちらが敷地図です。後楽園を取り囲むように作られています。旧水戸藩邸跡地を利用したそうですが、後楽園遊園地や東京ドームも敷地に入っているんですね。勉強になりました。


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