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■隅田川橋めぐり~八幡橋

次は「八幡橋」です。番外編です。ぱっと見るとただの歩道橋のようですが、日本最古の鉄橋といわれていて、国の重要文化財に指定されているすごい橋です。元々は弾正橋という名前で別のところにかかっていましたが、震災復興事業で弾正橋が架け替えられ廃橋となり、現在の富岡八幡宮の近くに移されました。元々は川だったのですが、後に埋め立てられ歩道橋になりました。明治11年(1878年)に工部省赤羽分局 製作で国の機関が製作...

■隅田川橋めぐり~萬年橋

次は「萬年橋」です。また番外編です。この橋は隅田川の支流である小名木川の河口にかかる橋です。ただ今工事中で足場がかかっていたのでまた来て見たいと思います。浮世絵師の歌川広重(安藤広重)の絵にも出てくる歴史のある橋です。1930年(昭和5年)震災復興事業により現在の橋に架け替えられました。きれいなアーチ橋なのですが、シートがかかってしまい見られないのが残念です。近くに松尾芭蕉が住んでいた芭蕉記念館がある...

■隅田川橋めぐり~南高橋

次は「南高橋」です。番外編第二段です。日本橋川から分岐した亀島川の河口にかかる橋です。つまり神田川河口・・柳橋日本橋川河口・・豊海橋亀島川河口・・南高橋    となります。この橋も震災復興事業により昭和7年(1932年)に架けられましたが、予算の関係で被災した旧両国橋の3連トラス橋の状態の良い部分を持ってきて補修し、幅を狭めて再利用しました。エコですねぇ。よって100年以上前の明治の橋が架かっている事にな...

■隅田川橋めぐり~豊海橋

次は「豊海橋」です。隅田川大橋のところでもちょっと紹介しましたが、再度写真を撮る機会があったので紹介します。日本橋川河口にかかる橋で梯子を横倒しにしたようなフィーレンディール橋という日本ではかなり珍しい形の橋です。1927年(昭和2年)9月 震災復興事業により架橋されました。交通量も少ないので真ん中から見てみました。小さいながらかなり迫力があります。前の柳橋ともデザインが異なるのは船の帰りに間違わないよ...

■隅田川橋めぐり~柳橋

次は「柳橋」です。この橋も神田川の河口にかかる橋で厳密に隅田川ではないのですが、おまけで紹介します。江戸時代にはこの橋近辺に舟遊びの場としての花街としてにぎわい、「柳橋芸者」なんて言葉もあったようです。名前の由来は1.矢の倉橋が矢之城(やのき)橋になり、さらに柳橋になる。2.柳原堤の末にあったことに由来する。3.橋のたもとに柳の木があったことに由来する など諸説あります。明治20年に鋼鉄橋になりましたが関...

■隅田川橋めぐり~相生橋

次は「相生(あいおい)橋」です。厳密に言うと隅田川ではなく「晴海運河」に架かる橋ですが、震災復興事業で架け替えられた橋なので紹介します。関東大震災にて木造の橋が焼失してしまい、当事勝鬨橋も無かったので孤島状態となってしまいました。そのため震災復興事業では1926年(大正15年)に一番に架けられました。しかしその後交通量の増大や、老朽化が深刻だったので1998年(平成10年)に架け替えられました。現在の橋はトラ...

■隅田川橋めぐり~岩淵水門

次は「岩淵水門」です。荒川と隅田川を仕切る水門です。つまり隅田川めぐりの終点です。そもそも荒川は現在の隅田川を流れていましたが、水害対策のため延長22km、幅500mの人工河川である荒川放水路を17年間かけて作りました。荒川放水路と同時に作られたのが岩淵水門です。赤いので通称「赤水門」とよばれる旧岩淵水門です。大正13年(1924) に完成しました。放水路と水門の建設責任者を務めた「青山 士(あおやま あきら)」...

■隅田川橋めぐり~京成電鉄隅田川橋梁

次は「京成電鉄隅田川橋梁」です。京成電鉄が走っています。鉄道橋に良くあるトラス構造となっています。この近辺から隅田川沿いの遊歩道がなくなります。堤防もいわゆるカミソリ堤防となり、川が見えないので、走りやすい荒川サイクリングロードに移ります。ここ近辺は荒川と隅田川が平行して流れているので荒川に移るのは楽です。荒川に入りました。西新井橋です。尾竹橋通りが通ってます。荒川の橋はいたって普通のモノが多いで...

■隅田川橋めぐり~千住大橋.

次は「千住大橋」です。隅田川の橋では最も歴史が古く、文禄 3年(1594) に徳川家康の命により架けられた橋です。これより約60年後に両国橋がかけられるまで隅田川の橋といえばこの千住大橋のみでした。最初は「大橋」と呼ばれてましたが両国橋が出来たことで区別するために千住大橋とよんだといわれています。江戸時代、徳川政権も不安定な時期には防衛上の理由から隅田川に橋を架けるのには消極的だったといわれています。こ...

■隅田川橋めぐり~水神大橋

次は「水神大橋(すいじん おおはし)」です。かつては「水神の渡し」という渡し舟が通っていたためこの名前が付けられました。この近辺は白鬚西地区と呼ばれ明治末から大正にかけて大規模工場が進出して、大日本紡績(現ユニチカ)や鐘紡紡績(カネボウ→現クラシエ)あと日本石油(現新日本石油)がありました。これら工場撤退により東京都が跡地を買い取りました。同地区は、住・商・工が混在する密集市街地でもあり、建物は戦災...

■隅田川橋めぐり~白鬚橋

次は「白鬚(しらひげ)橋」です。「白鬚神社」が近くにあることから近くの渡しを「白鬚の渡し」 があったことからこの名前が付きました。ちなみに「鬚」はあごひげを意味します。(リンカーンなど)、「髭」はくちひげです。(チャップリンやラーメンマンなど)、髯がほほひげ(ルパン三世など)と字が異なります。昭和6年(1931年)に震災復興事業の一環として架設されました。下路式のタイドアーチ橋です。明治通りが通ってます...

■隅田川橋めぐり~桜橋

次は「桜橋」です。今までの橋と違って歩行者専用の橋です。台東区と墨田区の姉妹提携事業として両岸にある隅田公園を結ぶように架けられています。「X型曲線 桁橋」という構造をとっています。真正面から見たところです。X字形で交差しているのがわかります。「夢のかけ橋」との別名があるようです。側面を見るときれいな曲面を描いているのが分かります。名前の通り桜の季節は隅田公園の桜と相まってとてもきれいです。隅田公園...

■隅田川橋めぐり~言問橋

次は「言問(こととい)橋」です。言問とかいて「こととい」と読みます。難しい読み方ですが、「伊勢物語」の主人公、在原業平の詠んだ「名にし負わば いざ言問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」という古歌に由来しているようです。両国橋と同じゲルバー橋という桁橋で大阪の天満橋と並んで三大ゲルバー橋といわれています。アーチ橋の多い他の橋と比べると一見地味に見えますが、川端康成がこの直線的なフォルムを絶賛し清...

■隅田川橋めぐり~東武線隅田川橋梁

次は「東武線隅田川橋梁」です。東武伊勢崎線を通す鉄道橋です。この橋は「中路カンチレバーワーレントラス」というトラス橋の中央を走る珍しいタイプで、隅田川の景観に配慮したのと車窓からの眺めをを考慮したのが理由だそうです。橋を渡った後半径100Mの急カーブの直後に浅草駅に結ばれるため、、両渡りポイントは橋の上に設置されています。橋の上にはポイントを作らないのが一般的なのですが、急カーブ上には作れないための...

■隅田川橋めぐり~吾妻橋

次は「吾妻(あづま)橋」です。浅草のすぐ脇にある橋です。江戸時代の隅田川は五大橋といって永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋、千住大橋が架けられていました。江戸時代最後に架けられた橋です。当初隅田川は「大川」と呼ばれていたため「大川橋」と読んでいましたがその後「東(あずま)橋」といわれるようになったとか諸説あるようです。雷門を意識してか真紅に塗られています。シャア専用っぽいカラーリングです。欄干にも雷の...

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